Tale『事実は小説よりも』一段落目
> 男性アナウンサーが声を出した。「十時五十七分のスポット・ニュースです」と言った。一つ目のニュースとして、前々日だかに倒れた████氏の病状と、主な見舞客の氏名を伝えた。
『消えたモーテルジャック』7ページ 三~四行目
> 続いて、男性アナウンサーが声を出した。十時五十七分のスポット・ニュースです、と言った。一つ目のニュースとして、前々日だかに倒れた田中角栄氏の病状と、主な見舞客の氏名を伝えた。
Tale『事実は小説よりも』二~三段落目
> 興味がなかった。聞き流して、パンの耳にかじりついた。
> 問題は二つ目のニュースだった。
『消えたモーテルジャック』7ページ 五~六行目
> 興味がなかった。聞き流して、パンのミミにかじりついた。
> 問題は二つ目のニュースだった。
Tale『事実は小説よりも』四段落目
> 「次のニュースです。先ほどもお伝えしました通り、今日未明、██市内のモーテルをジャックした父親と息子の犯人達は、今入った情報によりますと、警察の突入隊と激しい打ち合いの末、父親が射殺され、十五歳の少年が逮捕された結果、残りの人質六名も、全員無事救助された模様です」
『消えたモーテルジャック』7ページ 七行目
> 「次のニュースです。さきほどもお伝えしました通り、今朝未明、××市内のモーテルをジャックした犯人たちは、今入った新しい情報によりますと、警察の射撃班と激しい撃ち合いの末、犯人のうち父親の方が射殺され、十五歳の少年が逮捕された結果、残りの人質六人も、全員無事救出されたもようです」
Tale『事実は小説よりも』五~十二段落目
> 僕は聞いている間中、両耳がピーンとそばだっている気がして、耳の付け根が痛かった。そして、「なんだ」「なんだ」と、意味のない言葉を叫び、そのたびに頭の芯がカッカとあつくなっていった。特に犯人の組み合わせが、父親と十五歳の少年だと知った時、「これだ、次の小説はこれだ」と思わず万歳三唱までやってのけた。ついで、すぐに、しまったと叫んで、今度は大きな舌打ちをした。どうせまたつまらないニュースと決め込んでいたので、土地名を聞き落してしまったのだ。
> はっと気が付くと、妻と娘が口をあんぐりと開けて、僕を見つめていた。
> アナウンサーが、三つ目のニュースとして、高速道路での交通事故を読み上げた。短い沈黙が訪れ、そのあと十一時の時報が鳴った。
> 日曜日は、夕刊がない。
> 次の日の朝、僕は駅のスタンドであらゆる新聞を買いあさって、学校へ出向いた。これだけの大事件なのだから、一面トップに書きなぐられていると思った。ところが、どの新聞も、「モーテル・ジャック」のことなど、一行も記事にしてないのだ。
>これじゃ、小説を書こうにも、犯人たちの動機が分からない。
> 第一、犯人の一人が射殺されているのに、変ではないか。僕には何かあると直感した。それで、その日から一週間、週刊誌の車内広告やテレビの報道番組の番組欄を丁寧に調べたが、どこにも「モーテル」とか「ジャック」とかの活字は印刷されてなかった。
> 僕は久しぶりにカッカした。なぜだか、犯人たちが不憫に思えたのだ。
『消えたモーテルジャック』7ページ 十一行目~8ページ 十四行目
> ぼくは聞いている間中、両耳がピーンとそばだっている気がして、耳の付け根が痛かった。そして、「なんだ」「なんだ」と、意味のない言葉を叫び、そのたびに頭の芯がかっかとあつくなっていった。とくに、犯人の組み合わせが、父親と十五歳の少年だと知ったとき、「これだ、次の小説はこれだ」と思わず万歳三唱までやってのけた。ついで、すぐに、しまったと叫んで、今度はおっきな舌打ちをした。どうせまたつまらないニュースだと決め込んでいたので、土地名を聞き落してしまったのだ。
> はっと気がつくと、妻と娘が口をあんぐりと開けて、ぼくを見つめていた。
> アナウンサーが、三つ目のニュースとして、高速道路での交通事故を読み上げた。続いて、短い沈黙が訪ずれ、そのあと十一時の時報が鳴った。
> 日曜日は、夕刊がない。
> 次の日の朝、ぼくは駅のスタンドであらゆる新聞を買いあさって、学校へ出向いた。これだけの大事件なのだから、一面トップに書きなぐられていると思った。ところが、どの新聞も、「モーテル・ジャック」のことなど、一行も記事にしていないのだ。
>これじゃ、小説を書こうにも、犯人たちの動機が解らない。
> だいいち、犯人の一人が射殺されているのに、変ではないか。ぼくはなにかあると直感した。それで、その日から一週間、週刊誌の車内広告やテレビの報道番組(「モーニング・ショー」から「三時のあなた」、はては「ウィーク・エンダー」といったものまで)の番組欄を丁寧に調べたが、どこにも「モーテル」とか「ジャック」とかの活字は印刷されていなかった。
> ぼくは久しぶりにカッカした。なぜだか、犯人たちが不憫に思えたのだ。
Tale『事実は小説よりも』十三段落目
> これは、もちろん、卑しい情熱だ。だけど、僕は本気で、その父親になりたかった。その十五歳の少年にもなりたかった。このためには、もう一度、この二人のまぶしいほどの活躍に巡り合う必要があった。
『消えたモーテルジャック』9ページ 二~四行目
> これは、もちろん、卑しい情熱だ。だけど、ぼくは本気で、いややけっぱちで、その父親になりたかった。その十五歳の少年にもなりたかった。このためには、もう一度、この二人のまぶしいほどの活躍に巡り合う必要があった。
Tale『事実は小説よりも』十四~十七段落目
> 僕は新聞小説を連載していた某宗教団体の新聞社を訪ねた(ここは過激なニュースを上げることで有名であり、ネタのために事件を起こしているとすら言われている。もちろん僕は無宗教で個人的つながりはない)。
> そして担当の記者に頼んで、そこの社会部がその日曜日に収集したニュースを全て調べてもらった。
> 「そんな情報は、一つもない」と言われた。しかし、こんなことではへこたれない。僕には自分の卑しい情熱がかかっている。「もっと調べ上げてくれ」と執拗に食い下がった。
> その社の名前で、共同通信社と時事通信社に電話を入れてもらった。この二つの通信社は、日本全国の地方新聞から、どんな些細なニュースでもかき集める。そして、それをまた別の地方新聞社に売りさばくのだ。ところが、この二つの通信社も、「モーテルジャック」に関する返事は同じだった。
『消えたモーテルジャック』9ページ 五~十三行目
> ぼくは新聞小説を連載していた某宗教団体の新聞社を訪ねた(もちろんぼくは無宗教で個人的繫りはない)。そして担当の文化部の記者に頼んで、そこの社会部がその日曜日に収集したニュースをすべて調べてもらった。
> 「そんな情報は、一つもない」と言われた。しかし、こんなことではへこたれない。ぼくには自分の卑しい情熱がかかっている。「もっと調べ上げてくれ」と執拗に食い下がった。
> その社の名前で、共同通信社と時事通信社に電話を入れてもらった。この二つの通信社は、日本全国の地方新聞社から、どんな些細なニュースでもかき集める。そして、それをまた別の地方新聞社に売りさばくのだ。だから、たとえば北海道新聞と鹿児島新聞で、まったく同じ文章が載ったりする。ところが、この二つの通信社も、「モーテルジャック」に関する返事はおんなじだった。
Tale『事実は小説よりも』十八~十九段落目
> 「夢でも見たんじゃないですか」
> 担当記者は舌打ちをして、まずそう言った。だけど、夢だったら、なぜ妻や娘も聞いたことを覚えているのか。僕がこう反発すると、その記者は今度は大げさにため息をついた。
『消えたモーテルジャック』9ページ 十七行目~10ページ 二行目
> 「夢でも見たんじゃないですか」
> 文化部の担当記者は舌打ちをして、まずそう言った。だけど、夢だったら、なぜ妻や娘も聴いたことを覚えているのか。ぼくがこう反発すると、その記者は今度は大げさに溜め息をついた。
Tale『事実は小説よりも』二十~三十段落目
> 「局のガセネタでしょう」
> ガセネタだろうか。あの時、アナウンサーは「先ほどもお伝えしました通り」と言った。すると、あの局ではガセネタを少なくとも二度流したことになる。今の放送局で、こんなずさんなことが起こりえるだろうか。しかも、二度目では、一度目より事件が進行したことを伝えている。そんなばかな。
> 今度は、僕が訊いた。
> 「報道規制じゃないんですか」
> すると、記者は首を横に何度も振った。
> 「今の日本にそんなのありませんよ」
> 「そうでしょうか。最後に解放された六人の人質の中に、とてつもない大物がいて、それで」
> 「まさか」
> 記者は僕の肩をポンとたたいて笑った。
> 「そうですね」
>僕も仕方がないから笑った。しかし、それでは、僕や僕の家族が聴いた、あの日曜日の朝のニュースは、何だったのか。
『消えたモーテルジャック』10ページ 五~十九行目
> 「局のガセネタでしょう」
> ガセネタだろうか。あのとき、アナウンサーは「さきほどもお伝えしました通り」と言った。すると、あの局ではガセネタを少なくとも二度流したことになる。今の放送局で、こんなずさんなことが起こりえるだろうか。しかも、二度目では、一度目より事件が進行したことを伝えている。そんなばかな。
> 今度は、ぼくが訊いた。
> 「報道規制じゃないんですか」
> すると、記者は首を横になんども振った。
> 「今の日本に、そんなのありませんよ」
> 「そうでしょうか。最後に解放された六人の人質の中に、とてつもない大物がいて、それで――」
> 「まさか」
> 記者はぼくの肩をぽんと叩いて笑った。
> 「そうですね」
> ぼくも仕方がないから笑った。しかし、それでは、ぼくやぼくの家族が聴いた、あの日曜日の朝のニュースは、何だったのか。
Tale『事実は小説よりも』三十一~三十八段落目
> 事件発生からしばらくしたころだった。情報規制の情報を集めてもらっていたトップ屋いきなり訪ねてきて、こういった。
> 「██さん、十五歳の少年、見つけたよ」
> 「えっ、どこにいた?」
> 「・・・・・████の高等少年院に入っている。訪ねて行こう」
> 僕は心臓は心臓がきゅっと縮みこんで、危うく涙さえこぼしそうになった。死んだと思い込んでいた恋人が、他国で生きていて、いまだに僕を忘れられないと言っているようなものだった。
> 「ほんとに、会えるのか」
> 「ほんとは、会えない」
> 彼は地獄の沙汰もナントカさと付け足した。
『消えたモーテルジャック』27ページ 八~十七行目
> 去年の十一月のことだった。情報規制の情報を集めてもらっていたトップ屋の一人が、いきなり訪ねて来て、こういった。
> 「荻原さん、十五歳の少年、見つけたよ」
> 「えっ、どこに居た?」
> 「……の高等少年院に入っている。これから訪ねて行こう」
> ぼくは心臓がきゅっと縮み込んで、危うく涙さえこぼしそうになった。死んだと思い込んでいた恋人が、他国で生きていて、未だにぼくを忘れられないと言っていると聴かされたようなもんだ。
> 「ほんとに、会えるのか」
> 「ほんとは、会えない」
> 彼はにやっと笑うと、親指と人さし指で丸をつくって、地獄の沙汰もナントカさと付け足した。
Tale『事実は小説よりも』四十~五十段落目
> ところが、この事件は意外な結末を迎えた。また件のトップ屋が訪ねてきた、彼が僕に会う一番の目的は、僕から高額な手数料をとりたてることだったが、彼は浮かぬ顔で、開口一番でこう言った。
> 「あの少年さぁ、もうあの少年院にいないんだよね」
> 「どういうことだ」
> 「わからないが、何かを嗅ぎつけたらしい」
> 「殺され、たのか」
> 背筋がぞっとして、次は僕が危ないな、と直感した。
> 「いや、殺してない。・・・あちらさんは、もっと頭がいい」
> だってそうではないか。もし「モーテル・ジャック」が世間の関心を呼んで、主人公の少年が見つけ出されたとしても、肝心の少年は精神病院の患者なのだ。これでは、だれもが、なあんだ、████のやつったら気狂いの妄想を真に受けて、そいで小説を書いたのか、と思い込むだろう。
> また、あと一年ほどして少年が成人したら、当局は彼を退院させる、という噂もある。彼が娑婆で、僕は父さんとモーテル・ジャックしたんだぜ、と一言でも洩らしたら、周りの人間は、またこいつ病気が出たな、と白い目で彼を見るだけだ。
> 確かに向こうは頭がいい。下手に命でも奪ったら、かえってこの事件の存在を証拠づけるようなものだ。
> だけど、向こうも、一つだけ見落とした。それは、僕が「モーテル・ジャック」をかえって堂々と発表できるようになったということである。つまりこの小説は「気狂いのたわごとを核とした、完全なフィクション」になったのである。もう誰も僕を狙わないし、どこの出版社もびびったりはしないだろう。しかも、この小説の文化的価値は下がらないのである。だから、これから書く「モーテル・ジャック」本篇は、当局にしてみれば、一種のカウンターパンチ――それもかなり痛烈な――になるはずだ。私は期待に胸を躍らせ、その日を待った。
『消えたモーテルジャック』33ページ 十行目~35ページ 七行目
> ところが、この事件は意外な結末を迎えた。少年に出会ってから一ヵ月ほど経ったとき、またくだんのトップ屋が訪ねて来た。彼がこの日ぼくに会ういちばんの目的は、ぼくから高額な手数料をとりたてることだったが、彼は浮かぬ顔で、開口一番にこう言った。
> 「あの少年さあ、もうあの少年院にいないんだよな」
> 「どういうことだ」
> 「あいつ、荻原さんが小説に書くことを、別の看守にしゃべっちまいやがった」
> 「殺されたのか」
> 背筋がぞっとして、次はこのぼくが危いな、と直感した。
> 「いや、殺してない。あちらさんは、もっと頭がいい」
> トップ屋の話によると、少年は精神病院に移されたという。ぼくは思わず舌打ちをして、それから長いこと頭を掻きむしった。
> つまり、この事件はこれでものの見事に完全抹殺されたのだ。
> だってそうではないか。もし『モーテル・ジャック』が世間の関心をよんで、主人公の少年が見つけ出されたとしても、かんじんの少年は精神病院の患者なのだ。これでは、だれもが、なあんだ、荻原のやつったら気狂いの妄想を真に受けて、そいで小説を書いたのか、と思い込むだろう。ヘボ学者なら、芥川龍之介の『河童』あたりとの比較論文でも、ものにするかも知れない。
> また、あと一年ほどして少年が成人したら、当局は彼を退院させる、という噂もある。彼が娑婆で、ぼくは父さんとモーテル・ジャックしたんだぜ、と一言でも洩らしたら、周りの人間は、またこいつ病気が出たな、と白い眼で彼を見るだけだ。
> トップ屋の言うように、確かに向こうは頭がいい。下手に命でも奪ったら、かえってこの事件の存在を証拠づけるようなものだ。
> だけど、向こうも、一つだけ見落とした。それは、ぼくが『モーテル・ジャック』をかえって堂々と発表できるようになったということである。つまり、この小説は、気狂いのたわごとを核とした、完全なフィクションだということになる。もうだれもぼくを狙わないし、どこの出版社でもこの小説を活字にすることをびびったりはしないだろう。しかも、たとい気狂いの頭の中を小説にしたのであっても、いっこうにその文学的価値は下がらないのである。だから、これから書く『モーテル・ジャック』本篇は、当局にしてみれば、一種のカウンターパンチ、それもかなり痛烈な、になるはずだ。